障害者差別とは?原因や問題などを当事者が考えてみた!

専門用語

 
 
障害者差別と聞くと、なんだか悲しく聞こえてしまいます。当時者だからかもしれませんが、原因は何かあるのでしょうか?
 
 
問題なども含めて今回は、障害者差別について考えてみたいと思います。後半には頚髄損傷者の友人にも取材したのを、記載してみました。それではいってみましょう。

 

 

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障害者差別とは?

 
障害者差別という言葉を、ニュースでよく耳にしませんか?差別と調べれば、このような内容が出てきます。
 

差別とは、存在の否定である。特定の集団や属性に属する個人に対して特別な扱いをする行為である。それが優遇か冷遇かは立場によって異なるが、通常は冷遇、つまり正当な理由なく不利益を生じさせる行為に注目する。

引用:Wikipedia

 
簡単に言うと、障害を理由にして悪影響を与えるということです

障害者を差別してもよいのか?と尋ねれば、頷く人は誰もいません。しかし現実には存在します。「差別はいけない」というのは簡単ですが、行動に移せるかどうかは別なのです。
 

障害者差別の原因とは?①

 
申し遅れましたが、私は19歳のときに車の事故で首の骨を折り、頚髄を損傷して車椅子で生活しています。身体障害者手帳1級を持つ、重度障害者に当てはまるのです。それを踏まえて、障害者差別について考えてみました。


 
 
自分の周りの人間をどうとらえるかは、人によって違います。仲間だと思う人がいる一方で、嫌いで目障りだと考える人もいるでしょう。ある意味で障害者と健常者に関係なく、ここでも差別が出てくるのではないでしょうか?
 
 
また人は第一印象が大事と言われます。その点で私のような身体障害者は車椅子に乗っているので、見た目で判断されることが多いです。それって偏見があるからではないでしょうか?

≪偏見とは≫
十分な根拠もなしに他人を悪く考えること。

 
 
例えば、私を見てこように思われるかもしれません。
 

  • かわいそう
  • 歩けなくて苦労してそう
  • 手足が不自由で、何も出来なさそう
  • 障害があって何を考えているか分からない

 
私は手足が不自由です。確かに自分一人でできないことも多いですが、楽しく生きていますよ。また車いすツインバスケという障害者スポーツをやり、富山県チームの代表をしています。


 
 
さらに今年度からは、富山県障がい者スポーツ指導者協議会の事務局長もしているのです。事務職に関してのボランティアになりますが、この役職って何もできない人が任されるでしょうか?
 
 
やはり偏見というものが、大きくかかわってくると思うのです。まずは健常者が障害者の立場に立ってハンディや特性を知ることで、初めて差別が少なくなるのでしょうね。
 

障害者差別の原因とは?②

 
また発達障害者のように、見た目は健常者の方でどこにも障害を感じない人もいます。その場合は、普通にできないことから出来の悪い人とレッテルを貼られてしまうのです。

≪レッテルを貼る≫
一方的に評価をつけること。

 
この時点で、差別を受けているんですがね。
 
 
たとえば軽度の知的障害のある方は、記憶力に問題があるわけではありません。だから何時にどこにいって、ということは理解できるし覚えています。

でも一人で切符を買って自動改札を通り、ホームまで辿り着いて電車に乗るような行為はなかなかうまくできません。道も単純なもののほうが理解しやすいので、少々遠くてもそこを通ります。

どうしても知的障害者は環境への対応の弱さがあり、複雑なことは理解しにくい特性を持っているのです。


 
 
知的にハンディがある人だと理解ある人であれば、納得するかもしれません。しかし中には、「いくら知的障害といっても何回も教えればわかるだろう」と考える人もいるのです。結果的に、相手を深く傷つけます。

障害が理解できないと理不尽な考えを引き起こしてしまうので、注意が必要ですね。
 

障害者側の問題

 
障害者を差別することは問題です。ただ差別される側に非がないといえば、そうとも言い切れません。
 
 
ヘレン・ケラーの幼少期エピソードに、障害があるゆえに大事にされすぎてしまうと感じたことがあるそうです。

≪ヘレンケラーとは≫
視覚(見る)と聴覚(聞く)ができないの重複障害者(盲ろう者)だけど、世界各地の障害者の教育や福祉の発展に貢献した女性。

 
ヘレンは家庭教師のサリバン先生と出会うことができ、しつけ・指文字・言葉を教わり諦めない精神力を身に付けました
 
 
確かに障害というハンディがあれば、特別扱いしてもらって当たり前と勘違いしてしまう人もいます。しかし生きている中で遭遇する試練は、健常者だって形を変えているだけで同じなんです。


 
 
もしサポートしてもらうときがあれば障害があっても自分の現状を受け入れ、感謝の気持ちが必要だと思います。そう考えると、障害者側の謙虚な気持ちが差別という概念を少なくしてくれるのかもしれませんね。
 

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障害者の友人を取材してみた

 
私の所属するバスケチームに、頚髄損傷者の友人がいます。その彼も中途障害で車椅子ユーザーです。今まで、差別となるようなことを受けたことがあるか取材してみました。
 
 
内容をちょっと書き出してみますね。
 

  • 職員が少ないことを理由に、ローカル線の乗車を断られた
  • 映画館などの車椅子席が一般席と離れてて、違和感を感じる
  • 何も言われなくても、優先席に連れていかれてしまう

 
ローカル線の乗車に関してですが、利用する沿線にはエレベーターが無い駅が多かったようです。しかも日曜日だったので、「職員が少なくて付きっ切りで介助できない」と、断られたと言っていました。環境のバリアが引き起こす、大きい原因ですね。


 
 
また映画館や優先席は私にとってありがたい存在ですが、人によっては違和感を感じるようです。普通の席とは孤立して、通路の一角にありますからね。

この考えにはちょっと驚きましたが、差別って些細なことで引き起こされるのを実感しました。誰にでも住みやすい社会が生まれることを、願っております。
 

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さいごに

 
そもそも差別がないのなら、平成25年障害者差別禁止法を施行する必要がないのです。悲しいですが、この世から完全になくなることはないでしょう。

その関係から物わかりの良い人ばかりではない、という事実を受け入れるしかないのです。そして障害者側にも、差別を受け流す柔らかい考えが求められます
 
 
人の性格を見た目で判断や理解することは、簡単ではありません。しかし差別をする人を近づけないという、独自の防御も必要な世界なのです。少しでも障害者に対する偏見が減ることを、願っております。
 
 
 

はじめまして、頚髄損傷者のまっつんです。

健常者から障害を持つようになり、車椅子で生活していることでの感じた考えを綴ろうと思います。

共感していただければコメント欄からどしどし書き込んでもらえると幸いです。

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