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障害者の意味とは?生きる価値があった!当事者が思いを語ります。

障害者

 
 
障害者の意味をご存知ですか?私自身が車椅子ユーザーなので、当時者になります。意味と聞かれればハンデを持った人と思うのですが、他に何かあるのでしょうか?さらに踏み込んで、生きている価値にどんなものがあるのでしょう?
 
 
今回は障害者の意味について、詳しく解説します。後半には、当事者の思いを記載してみました。それではいってみましょう。

 

 

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障害者の法的な意味とは?

 
障害者はどんな意味があるの?と改めて問われると、どのような答えを思いつくでしょうか。

たとえば足が不自由で車椅子に乗っている人。視力が極端に低くて一人では外出が困難な人。ケガなどで腕や足を切断してしまった人。精神状態が不安定で社会生活への適合が難しい人、といったようにいろいろ想像できると思います。

障害者
 
 
障害者は法的に、以下のように定められています。
 

「障害者」とは、身体障害、知的障害又は精神障害(以下「障害」と総称する。)があるため、継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける者をいう。

引用:障害者基本法

 
障害者は3区分で身体障害者、知的障害者、精神障害者になっていますが、それぞれの定義も以下のように設けられているのです。
 

【身体障害者の定義】
身体障害者とは、「障害者の雇用の促進等に関する法律」(昭和35年法律第123号。以下「法」という。)に規定される身体障害者をいう。原則として身体障害者手帳の交付を受けている者をいうが、身体障害者手帳の交付を受けていなくても、指定医又は産業医(内部障害者の場合は指定医に限る。)の診断により確認されている者も含む。

【知的障害者の定義】
知的障害者とは、法に規定される知的障害者をいう。具体的には児童相談所、知的障害者更生相談所、精神保健福祉センター、精神保健指定医又は障害者職業センターによって知的障害があると判定された者をいう。また、重度知的障害者とは次のイからハまでのいずれかの者をいう。
イ療育手帳(愛の手帳等他の名称の場合も)で程度が「A」とされている者
ロ児童相談所、知的障害者更生相談所、精神保健福祉センター、精神保健指定医から療育手帳の「A」に相当する判定書をもらっている者
ハ障害者職業センターで重度知的障害者と判定された者
【精神障害者】
精神障害者とは、法に規定される精神障害者をいう。具体的には次のイ又はロの者であって、症状が安定し、就労可能な状態の者をいう。
イ精神障害者保健福祉手帳の交付を受けている者
ロイ以外の者であって、産業医、主治医等から統合失調症、そううつ病又はてんかんの診断を受けている者

引用:厚生労働省

 
このように、障害者の3区分が理解できたと思います。
 
 
過去に言い方や表記について書いた記事があるので、お時間がある際にでもお読みいただけるとありがたいです。

障害者の言い方や表記で別のものはあるの?当事者が思いを語ります!
障害者の言い方や表記をどのように感じますか?私は車椅子ユーザーなんですが、自分自身のことを言われているのだと当たり前に思いますね。ただ時として、「差別要素がある!」とも言われているのです。 それらも含めて今回は障害者の言い...

 
 
続いての章では生きる意味について、見ていきたいと思います。
 

障害者が生きる意味とは

 
障害者の命について聞かれれば、どんな風に感じますか?私は同じ人間なので、かわらずに価値あるものと思いますね
 
 
ちなみに某検索エンジンで「障害者 生きる意味」と検索すると、以下のキーワードがズラッと並びました。
 

  • 知的障害者 電車 奇〇
  • 知的障害者 人間じゃ〇い
  • 電車 障害者 こ〇い
  • 重症心身障害児 〇きる意味
  • バス 障害者 迷〇
  • 職場 知的障害者 迷〇
  • 寝たきり 障害者 〇きる意味

※あまりに醜い表現なので、一字だけ◯に変換してあります。
 
なかなかストレートでショッキングな表現が並んでいます。またそのサイトをいくつかクリックすると、相模原市の障害者施設で発生した〇傷事件への私見を記したブログに多く行き当たりました。

その大半は、「(特に知的)障害者は何をするか分からないから〇い」といったような内容だったのです。
 
 
近年、社会ではノーマライゼーションの理念が浸透してきたと、言われることが多くなっています。

≪ノーマライゼーションとは≫
障害者も、健常者と同様の生活が出来る様に支援するべき考えのこと。

 
実際に障害者が社会参加するための機会や制度、仕組み作り等は確実に進んでいると言えますが、差別的視点や偏見が残っていると思うのです。

偏見
 
 
確かに一部の知的障害者や重度心身障害者は突発的な行動を取ってしまったり、時には暴力的行為をしてしまうことがあります。人間は自分の予想を超える物事を目の当たりにすると、自分自身に危害が及ぶのではないかという不安を感じるものです。

知的障害者や重度心身障害者は特性上、突然奇声を上げたり大声を出してしまったりすることもあります。そのうえで一般の人から見ると恐怖の対象となってしまっていると感じ、価値が無いになると考えられるのです。

障害のレベルが重ければ介助者の手を借りて食事や排泄・入浴といった日常生活動作さえ、全面的な介護が必要になります。そのため社会への貢献をなさない存在であると思われ、「生きる意味がない」と結論付けられるのでしょうね

サポート
 
 
しかし同じ人間同士なので冷淡かつ短絡的に切り捨てるのではなく、個性ととらえる柔軟な視点が必要なのです。

つまり障害者が生きる意味は、当時者だけの努力によって作り出されるものではありません。健常者側が理解し偏見や意識を変えていくというプロセスを経て、出来てゆくべきものなのではないでしょうか。
 

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障害者の意味や価値を当事者が語ってみた!

 
申し遅れましたが私は19歳のときに車の事故で首の骨を折り、頚髄を損傷して車椅子で生活しています。受傷した当時は症状が悪く、いつ死んでもおかしくない状態でした。

安定したときに聞いたのですが、医師は家族に、「心の準備をしててもらいたい」と言っていたそうです。だから命が無事だったことで、大変驚かれていました。
 
 
私自身、身をもって命の尊さを感じていますが、どんなに障害を持っていようとも生きていく意味がちゃんとあると思います。

命
 
 
たとえば以下のように、役目があるのです。
 

  • 障害者じゃないとわからないことを、誰かに伝える役目がある
  • 障害者が元気に生活することで、誰かを笑顔にさせる役目がある

 
障害者じゃないとわからない気持ちがたくさんあります。それを伝えていかなくてはなりません。さらに元気にいる姿を見せるだけで、頑張れる人もいるのです。このように、障害者でも生きる価値はありますからね。
 
 
私は障害を持ってから車いすツインバスケという障害者スポーツを、健康と趣味のために行っています。同じチームに頚髄損傷者と脳性麻痺の友人がいて、この彼らも以下のような目標を持ち頑張っているのです。
 

  • 地域で障害者が住みやすい環境にしたい!
  • 手話通訳士になって、聴覚障害者の役に立ちたい!

 
このように考えて行動すれば、たとえ障害者だとしても誰かしらの役に立つのです。私も障害者スポーツが発展できるよう、いろいろ頑張っています。
 
 
以上のことは、私見と友人のことを交えてお応えさせていただきました。ただ強く言えるとすれば、障害者は健常者と同じ心を持った人間!普通に生きていく権利があるのです

生きてさえいれば、人間誰しもが悲しいことも楽しいことも感じるのは一緒。だって同じ人間なんだから。たとえ障害を持っていたとしても、生きる価値はあるのです。差別するほうがおかしいのですからね。

人それぞれ一生懸命に毎日を過ごしているのです。もっと社会の中でノーマライゼーションの理念が浸透することを、願っております。
 

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まとめ

 


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繰り返しますが、たとえ障害があったとしても、人として生きる意味があるのです。誰しもが何かしらの役目を担っているのですから。障害者ということで偏見を持たず、住みよい社会が生まれて欲しいです。
 
 
 

まっつん

はじめまして、頚髄損傷者のまっつんです。

健常者から障害を持つようになり、車椅子で生活していることでの感じた考えを綴ろうと思います。

共感していただければコメント欄からどしどし書き込んでもらえると幸いです。

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