世界中の障害者が4年に1回スポーツで競い合う大会を、パラリンピックと言います。頑張っている姿は、感動を与えてくれるのです。
今回はパラリンピックにスポットを当てて、見ていていきましょう。
パラリンピックの意味とは?
まずは過去にパラリンピックの際に作られた動画があるので、見ていただければありがたいです。苦労を感じさせない姿が素晴らしいですね。
パラリンピックは、国際パラリンピック委員会が主催する身体障害者を対象にした競技大会の中で、世界最高峰の障害者スポーツ大会を言います。「もうひとつのオリンピック」として、終了後に同じ場所で開催されるのです。
なお2012年のロンドンパラリンピックでは、20競技で行われました。次の2016年リオパラリンピックでは22競技と増えていき、史上最多となる159の国と地域から約4300人が参加しています。2020年の東京パラリンピックはどうなるのでしょうか?
ちなみにパラリンピックは、パラプレジア(下半身麻痺)とオリンピックを掛け合わせた造語になります。
正式名称は、麻痺者のための国際ストーク・マンデビル競技会です。1989年にIPC(国際パラリンピック委員会)が設立され、パラリンピックとなりました。
パラリンピックの歴史
パラリンピックの歴史は、それほど古くはない事実があるのです。1948年(昭和23年)に初めてロンドンで開催されています。負傷した軍人さんを対象にされたのです。
以下、時代とともに見ていきましょう。
≪1948年≫
ロンドンオリンピック開催の年、パラリンピックとしての歴史が始まったとされています。当時、イギリスのストーク・マンデビル病院には、第2次世界大戦で脊椎を損傷した軍人の、リハビリのための科が専門にありました。ドイツから亡命したユダヤ系医師ルートヴィヒ・グットマンの提唱により、車椅子入院患者男子14人、女子2人によるアーチェリー大会が行われたのです。スポーツがリハビリテーションに有効な治療手段になることから入院患者のみの競技大会でしたが、毎年開催され続けられました。
≪1952年≫
オランダチームの参加により、国際ストーク・マンデビル大会(参加者130人)となり、国際競技大会となりました。その後、参加国、参加選手、実施競技が増えていったのです。
≪1960年≫
ローマ大会からは、オリンピック開催国で行われるようになりました。11競技、23か国400人の選手が参加(第1回パラリンピック大会)しています。
≪1964年≫
第2回パラリンピック大会となる東京国際競技大会が開催。当初、この大会には脊椎損傷だけが参加していました。しかし、四肢などの切断や、脳性麻痺、あるいは視覚障がいのある選手を統括する、スポーツ組織がつくられたこともあり、1976年大会以降は脊椎損傷者以外の選手も参加するようになりました。
≪1976年≫
第1回冬季パラリンピック大会となる、スウェーデンエーンシェルドスピーク大会開催。
≪1982年≫
さまざまなスポーツ組織が参加することから、これを調整するために、国際調整委員会(ICC)が組織されます。
≪1988年≫
パラリンピック・ソウル大会から、「もう一つのオリンピック」という意味を込めて使われるようになりました。
≪1989年≫
これに各国・地域代表が加わり、IPCが設立。本部は、ドイツのボストン。パラリンピックが正式名称となります。
IPCは過去の大会をさかのぼり、1960年の国際ストーク・マンデビル大会を第1回パラリンピック大会と定めました。
なお冬季パラリンピック大会は、1976年に開催されたスウェーデン大会と定められたのです。意外と新しかったのにビックリですね。
さいごに
わが国では、東京パラリンピックが近々開催されます。どのような感動を与えてくれるのでしょうか?大いに期待したいものです。
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