ノーマライゼーションという言葉を耳にしますが、意味をご存知でしょうか?なかなか難しく感じると思いますよ。私も最初そうでした。
そこで今回は、ノーマライゼーションの意味について詳しく解説します。後半には、当事者が思う現状も語ってみました。それではいってみましょう。
ノーマライゼーションの意味とは?
一昔前までは医療や福祉に従事している方以外ほとんど馴染みのなかった、ノーマライゼーションという言葉。最近は、社会に少しずつ浸透してきている印象があります。
一般的な意味として、以下のように言われていますよ。
障害者も、健常者と同様の生活が出来る様に支援するべき、という考え方である。
引用:Wikipedia
また厚生労働省は、以下の定義を打ち出しています。
障害のある人もない人も、互いに支え合い、地域で生き生きと明るく豊かに暮らしていける社会を目指す。
引用:厚生労働省
この定義や言葉自体にピンとこなくても「バリアフリー」「ユニバーサルデザイン」であれば、多くの方が耳にしたことがあると思うのです。
というのも、必然的にノーマライゼーションと関わってきます。どちらの言葉も、誰もが使いやすくすることが目的ですからね。
もともとノーマライゼーションという言葉は、海外(福祉先進国である北欧)で生まれた考え方でした。
時は第二次世界大戦終了後の1950年代。当時、知的障害者の施設の中で、彼らが非人間的な扱いを受けていることを知ったその親たちによる、この状況を改善しようという運動からはじまりました。「どのような障害があろうと一般の市民と同等の生活と権利が保障されなければならない」という考え方がN・E・バンク-ミケルセンという一人の行政官によって提唱され、1959年にデンマークの法律として成立します。
引用:WHILL株式会社
英語での表記は「normalization」で、単語が「normal-ization」。normal(通常の状態)に、ization(~にすること)という要素で成立しています。
障害者が健常者とともに対等な生活ができるよう「周り(=健常者)が変わる」という意味も持ち合わせているのです。つまり一方だけではなく双方が互いに理解し合って歩み寄ることで、平等関係を作り上げることが目的になります。
ノーマライゼーションについての誤解
ノーマライゼーションという言葉は個人主義的思考が強いヨーロッパで生まれたため、我が国での浸透がスムーズにいきませんでした。むしろ誤った解釈がなされ、理解しがたい異国の考え方と見なされてしまうことが多かったのです。
ちなみに国立国語研究所ではノーマライゼーションを難解な外来語であるとして、言い換える例を“等生化”としています。
私の知人に医療従事者がいますが、ノーマライゼーションの言葉自体を「障害を有する人に何かしてあげる行為」と解釈してしまっている人が多いと言っていました。
またこのような考え方は「する側」と「される側」といったように、上下関係や支配関係を作り出してしまう側面もあるのです。構造が固定化される弊害が生まれていました。
そのため「する側」である健常者が「される側」の障害者に対し、優越感を抱いてしまう場合もあるのです。人と人とのコミュニケーションのため、なかなか難しい問題だと思います。
ノーマライゼーションの理念が社会に広がる意義
どのような関係についても「~する側」「~される側」が固定されてしまうと、気持ちが希薄で硬直化するのです。その点ノーマライゼーションの理念は、常に相互理解を目指す対話や意見の交流そして柔軟な対応に満ちています。
もっと社会全体に広まれば、優しい環境が生まれると思うのです。
頻繁に発生している以下の問題も、一方的な関係性や絶対的な上下関係の存在が色濃く影響しています。
- 職場のパワーハラスメントの問題
- 家庭における幼児虐待の問題
- 高齢者施設での高齢者虐待の問題
そう考えると決して障害福祉分野だけで通用する専門用語ではなく、社会のあらゆる領域に存在する必要さえも感じます。
現代社会にあるさまざまな難しい問題を解決するため、ノーマライゼーションの考え方が広く浸透していくことを期待せずにはいられません。それこそが「全ての人々が対等な関係でいきいきと暮らす社会の構築を目指す」、究極の理念であると思うのです。
ノーマライゼーションについて当事者が思うこととは?
申し遅れましたが、私自身19歳の時に車の事故で首の骨を折り、頚髄を損傷した車椅子ユーザーです。障害を持ってからは車いすツインバスケという障害者スポーツを、趣味と健康のために行っています。
同じチームの選手とよく話をするのですが、ノーマライゼーションについて語ってみました。出てきた内容が以下になります。
- 田舎では障害者に対する偏見が強い
- 障害者駐車場を利用する健常者が多い
- 口では障害者に対して良いことを言うが、行動を伴わない
ちょっと話しただけでも、いろいろ出てきましたよ。
私たちが住んでいるのは富山県で、田んぼや山が広がっている場所です。都会と違って、部落という人の絆が大事にされています。その分、障害を持つ人に対しての偏見も強く、「かわいそう」「不幸」と捉えられることが多いのです。
また建物の障害者駐車場を、平気で利用する健常者も多い現実があります。さらに口では障害者に対して良いことを言う人も多いですが、行動も伴わない場合がほとんどと感じますね。
探せばたくさんあるでしょう。ただ言えるのは、まだまだ障害者にとってハードやソフトの両面からも、住みやすい環境とは言えないようです。パラリンピック東京大会を機に、もっと優しい環境が生まれることを願いたいですね。
まとめ
にほんブログ村
応援お願いしますm(_ _)m
来年の東京は、多くの障害を持った外国人の方が訪れることになります。素晴らしい日本のおもてなしを、感じてもらえたらいいのですがね。そう思われることを願っております。
コメント