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高木守道の名言と偉大な足跡。職人肌の二塁手が残した伝説とは?

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プロ野球の歴史を振り返ると、スター選手の中には派手さはなくとも、圧倒的な実力と存在感で長くファンの心に刻まれ続ける人がいます。私にとって高木守道さんは、まさにその象徴のような選手です。

中日ドラゴンズ一筋で活躍し、日本球界を代表する名二塁手。数字だけでは語り切れない渋い輝きがあり、見ている者に誠実さや職人気質なかっこよさを感じさせてくれる存在でした。

そんな高木守道さんは、プレーだけでなく数々の名言でも知られています。今回は、その名言と共に、彼が何で有名なのか、生い立ちや業績について、私自身の目線でまとめてみたいと思います。

 

 

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高木守道の名言とは?

 

高木守道さんの言葉には、真面目で不器用でも、努力だけは裏切らないと信じ続けた男の重みがあります。私が特に心を動かされた言葉があります。

「野球というのは、最後までわからない。だから面白い」

結果がはっきり見えるスポーツだからこそ、一瞬一瞬に全力を注ぐ。その姿勢は、今を懸命に生きる私自身の姿と重なる部分があり、失敗を恐れずに挑み続ける力を与えてくれました。また、彼はこんな言葉も残しています。

「グラウンドに出たら、言い訳なんてできない」

車椅子で生活している私にとって、できない理由を探してしまう日もあります。しかし、この言葉を思い出すと、言い訳より行動を選ぼうという気持ちが湧いてくるのです。言葉は短くても、そこに積み重ねてきた努力と覚悟が感じられ、力強い説得力があります。

 

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高木守道の生い立ちとは?

 

高木守道さんは岐阜県出身。高校時代から注目され、1959年に中日ドラゴンズへ入団します。当初は内野手としての実力はあったものの、すぐにレギュラーになれたわけではありません。それでも地道に努力を積み重ね、持ち前の守備力と機敏な動きで頭角を表します。

私が調べて驚いたのは、彼が派手な性格ではなく、ひたむきな人柄だったということでした。守備の名手と呼ばれる人ほど、日々見えない努力を積み重ねているものなのだと改めて感じさせてくれる生涯です。

さらに、打撃面でも年を重ねるごとに確実性が増し、気づけばチームを引っ張る中心選手になっていました。

 

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高木守道の業績とは?

 

高木守道さんといえば、日本球界が誇るトップクラスの二塁手。通算2274安打、369盗塁、MVP、ベストナイン多数。まさに走攻守の全てが高水準です。そして、ダブルプレーの美しさは多くのファンが語り継ぐほどで、彼の守備は芸術の領域だと言われました。

また、現役引退後は中日の監督も務め、チーム再建に尽力しました。采配に対して賛否はあるものの、それだけ愛情を持ってチームと向き合っていた証拠だと私は思います。長きにわたり一つの球団に携わり続けた姿勢は、野球人として本当に尊敬できるものです。

さらに、殿堂入りを果たし、その名は永遠にプロ野球史に刻まれています。派手なタイトルよりも、積み上げた実績と信頼。それが高木守道さんの凄さです。

 

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最後に

 

生涯を野球に捧げ、ファンから愛され続けた名二塁手、高木守道さん。彼の言葉やプレーから学べることは、野球を知らない人にも数多くあると私は感じました。不器用でも、真面目でもいい。

コツコツと積み重ねていけば、必ず自分を誇れる何かになる。その姿は、私がブログを書き続ける励みにもなっています。

野球という舞台で生きた高木守道さん。その足跡は、今でも多くの人の胸に力強いメッセージとして残り続けているのだと思います。私も、彼のように信念を持って、これからも前に進みたいと感じています。
 
 

まっつん

はじめまして、頚髄損傷者のまっつんです。

健常者から障害を持つようになり、車椅子で生活していることでの感じた考えを綴ろうと思います。

共感していただければコメント欄からどしどし書き込んでもらえると幸いです。

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