私は車椅子に乗って生活している。初めてこの状態になったとき、正直に言えば、世の中はずいぶん不公平だなと思った。なぜ自分が、という疑問が頭から離れず、答えのない問いを何度も繰り返した。そんな日々の中で、ふと目にしたのが「運否天賦」という四字熟語だった。
この言葉を最初に見たとき、胸の奥をぎゅっと掴まれたような感覚があった。努力ではどうにもならないことが、この世には確かに存在する。そう言われているようで、少し冷たく、でも不思議と正直な言葉に感じた。
今回は、この運否天賦という言葉について、私なりの視点で掘り下げてみたいと思う。
運否天賦の意味とは?

運否天賦とは、簡単に言えば「人の運命や巡り合わせは、天から与えられたものであり、人の力ではどうにもならない」という意味を持つ四字熟語だ。運や不運、成功や失敗、生まれた環境や体質など、本人の意思や努力とは関係なく決まってしまう事柄を指すときに使われる。
良い意味でも悪い意味でも使われる言葉だが、どちらかと言えば、どうしようもない現実を受け止める場面で用いられることが多い印象がある。努力すれば何でも叶う、という言葉が好まれる現代において、運否天賦は少し耳が痛い言葉かもしれない。
しかし、だからこそ現実をそのまま映し出す力を持っていると私は思う。
運否天賦の使い方とは?
運否天賦は、人生の結果や状況について語るときに使われることが多い。例えば、同じように努力しても結果に差が出たときや、生まれ持った条件によって道が分かれてしまったときなどだ。
- 「成功できたのは才能だけでなく、運否天賦の部分も大きい」
- 「ここまでの人生を振り返ると、運否天賦としか言いようがない出来事が多かった」
このように、自分では選べなかった要素を冷静に認める文脈で使われる。誰かを責めるためではなく、状況を俯瞰するための言葉として使うと、重みが伝わりやすいと感じる。
運否天賦をわかりやすく解説
運否天賦という言葉を難しく考える必要はない。要するに「どうにもならないことは、どうにもならない」という現実を認める言葉だ。私は車椅子ユーザーになってから、努力や根性だけでは越えられない壁があることを嫌というほど知った。
もし過去に戻れたら、もし違う体だったら、と考えたことも一度や二度ではない。でも、それはどれだけ考えても変わらない事実だった。運否天賦を知ってから、私は少しだけ楽になった。すべてを自分の責任だと思わなくていいのだと気づいたからだ。
もちろん、何でも運のせいにして投げ出すのとは違う。変えられない部分と、変えられる部分を切り分けるための言葉だと私は理解している。天から与えられた条件は選べない。
しかし、その条件の中でどう生きるかは、自分で選べる。運否天賦を認めることは、諦めではなく、スタートラインを正しく知ることなのだと思う。
最後に
運否天賦という四字熟語は、決して希望を奪う言葉ではない。むしろ、無理に自分を責め続けてしまう人にこそ、そっと寄り添ってくれる言葉だと私は感じている。
人生には、努力が報われる場面もあれば、どれだけ頑張っても覆らない現実もある。
その両方を認めたとき、人は初めて自分の足元を見て歩き出せるのではないだろうか。私はこれからも、運否天賦だと思う出来事に出会うだろう。それでも、その中で自分なりにできる選択を積み重ねていきたい。
この言葉は、私にとって現実を受け止めつつ前を向くための、静かな支えになっている。


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