私が「雲煙過眼(うんえんかがん)」という四字熟語に初めて出会ったのは、ある日ふと読んでいた古い随筆の中でした。正直なところ、最初は読み方すら分からず、何となく難しそうな言葉だなという印象しかありませんでした。
でも、意味を知った瞬間、この言葉が不思議と胸に残ったのを今でも覚えています。私は車椅子で生活している素人ブロガーですが、日々の暮らしの中で「これは大事だ」と思っていたことが、時間が経つと驚くほど小さなことに感じられる瞬間があります。
そんな感覚と、この雲煙過眼という言葉が重なり、ぜひ自分の言葉で書いてみたいと思いました。
雲煙過眼の意味とは?

雲煙過眼とは、「雲や煙が目の前を通り過ぎていくように、物事を一時的なものとしてとらえ、心にとどめないこと」を意味する四字熟語です。目の前を流れる雲や、ふっと立ちのぼって消えていく煙は、形をとどめることなく、すぐに消えてしまいます。
この言葉は、世の中の出来事や他人からの評価、名声や富などを、深く執着せずに受け流す姿勢を表しています。決して「何も考えない」とか「無責任」という意味ではありません。
一度は目に入り、心に触れたとしても、それに縛られすぎない心のあり方を示している言葉だと、私は感じています。
雲煙過眼の使い方とは?
雲煙過眼は、主に人の生き方や考え方を表現するときに使われます。
例えば、
「あの人は成功も失敗も雲煙過眼として受け止めている」
というように、結果に一喜一憂せず、淡々と前を向く姿勢を表す場面で使われます。また、過去の出来事にいつまでも囚われてしまう人に対して、「もう雲煙過眼として流してもいいのではないか」と助言する形でも用いられます。
日常会話で頻繁に使う言葉ではありませんが、文章やブログ、少し落ち着いた場面で使うと、深みのある表現になります。
雲煙過眼をわかりやすく解説
私なりに雲煙過眼を噛み砕いて説明すると、「人生の中で起こる多くの出来事は、空に浮かぶ雲のようなもの」という感覚に近いと思います。嬉しかったこと、悔しかったこと、誰かに言われた一言、思い通りにいかなかった出来事。
どれもその瞬間は大きく感じますが、時間が経つと意外と形を失っていきます。私は車椅子生活になってから、人の視線や言葉に敏感になった時期がありました。正直、傷つくことも多かったです。でも、すべてを心に抱え込んでしまうと、前に進む気力がなくなってしまいます。
そんな時、「これは雲煙過眼なんだ」と考えるようにしました。今は重たく感じる出来事も、やがて通り過ぎていく。そう思えるようになると、少し肩の力が抜けました。
雲煙過眼は、逃げるための言葉ではなく、自分を守るための知恵だと私は思っています。
必要以上に自分を責めず、必要以上に他人の評価に振り回されない。そのための心の距離感を教えてくれる言葉です。
最後に
雲煙過眼という四字熟語は、一見すると冷たい印象を受けるかもしれません。しかし実際は、とても人間らしく、やさしい言葉だと私は感じています。人生には、自分ではどうにもならないことがたくさんあります。
全部を真剣に受け止めすぎると、心が疲れてしまいます。そんなとき、雲煙過眼という考え方を思い出すことで、少しだけ楽になれるかもしれません。私自身、まだまだこの境地には程遠いですが、少なくとも「すべてを背負わなくていい」と思えるようになりました。
これからも日々の出来事を大切にしつつ、必要以上に執着しない生き方を目指していきたいです。この言葉が、読んでくださった方の心にも、静かに寄り添ってくれたら嬉しいです。


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