ふとした瞬間に、「巨人の肩の上に立つ」という言葉を耳にしたことがある人も多いのではないでしょうか。これは、近代科学の父とも称されるアイザック・ニュートンの名言です。
一見、謙虚にも聞こえるこの言葉の裏には、どれだけの知識と情熱、そして時代を越えた影響力が詰まっているのでしょうか。
今回は、「ニュートンって名前は知ってるけど、どこがすごいの?」と感じている方に向けて、彼の名言から始まり、彼の数奇な生い立ち、そして後世にまで語り継がれる業績の数々をご紹介します。
難しい理系の話というよりは、一人の人間としてのニュートンを感じてもらえるように、素人目線で語ってみたいと思います。
ニュートンの名言とは?
ニュートンの言葉で一番有名なのはやはりこの一言──
「もし私がより遠くを見渡せたとすれば、それは巨人たちの肩の上に立っていたからです。」
この名言は、彼がライバルの科学者ロバート・フックに宛てた手紙の中に出てくる一節だと言われています。
ニュートンの凄さというと、“万有引力”とか“ニュートン力学”とか、何やら物理っぽい難しい印象を受けがちですが、この言葉からは彼の人柄や、過去の知識に対する敬意がうかがえます。
一方で、実はこの言葉には裏話もあるんです。フックは背が低く、しかも病弱だったため、この「巨人の肩」という表現が皮肉だったのでは…という説も。天才の世界でも、人間くさいライバル関係があるんだなあと思うと、どこか親近感が湧いてきます。
ニュートンの生い立ちとは?
ニュートンは1642年12月25日、イングランドの田舎、ウールズソープという小さな村で生まれました。この年は、ガリレオ・ガリレイが亡くなった年でもあり、まるでバトンを受け取るかのような不思議な縁を感じます。
しかも彼は、生まれた時点で“すぐに死ぬだろう”と周囲に思われるほど未熟な赤ん坊でした。父は彼が生まれる数ヶ月前に亡くなっており、母もすぐに再婚してしまったため、ニュートンは祖母の手で育てられます。
いわゆる「母に捨てられた」とも取れる環境で、感情を外に出しづらい内向的な性格に育ったとも言われています。
学校でも目立った存在ではなかった彼ですが、ある時、いじめっ子に対して「勉強で勝つ!」と決意し、そこから一気に学問にのめり込むようになったそうです。負けず嫌いな一面も、天才の原動力だったのかもしれませんね。
ニュートンの業績とは

ニュートンといえば「りんごが落ちてきて万有引力を思いついた話」が有名ですが、彼の業績はそれだけではありません。というより、それはほんの一部でしかないんです。
まず、物理学の基礎を築いた**「運動の三法則」**。これは、高校の教科書でも出てくる「力が加わらなければ物体は静止か等速直線運動を続ける」「力=質量×加速度」などの法則で、今の機械工学や天体の動きの計算、さらにはロケット打ち上げの理論にもつながっています。
そしてもちろん、「万有引力の法則」。地球の引力だけでなく、すべての物体同士に働く力だという発想は、当時としては革命的でした。これにより、月がなぜ地球のまわりを回っているのか、惑星の動きがなぜ安定しているのか、といった疑問が一気に解き明かされていったのです。
さらに驚くことに、彼は数学の分野でも「微積分法」を発明しています。しかも同じ時期にドイツの数学者ライプニッツも同様の理論を発表しており、どちらが先かをめぐって大論争に。ニュートンは、内向的なのに論争好きという、なかなかクセのある性格でもあったようです。
また、光の研究にも情熱を注ぎ、「白色光はさまざまな色の光からできている」ことをプリズムで実証し、光学の世界にも多大な貢献をしました。
最後に
ニュートンの人生は、まさに“ひとりの天才が世界を変えた”物語です。しかしその裏には、幼少期の孤独や、対人関係の難しさ、そして誰にも負けたくないという強烈な意志がありました。
私たちが今、当たり前のように使っている物理の法則や計算式も、彼のような人物の探究心と執念の結晶なのだと改めて感じさせられます。
そして、「巨人の肩の上に立つ」という名言は、どんなにすごい成果も、それまでの積み重ねなしには成し得ないという、深い真理を教えてくれます。だからこそ私たちも、誰かの知恵や助けを借りることに臆せず、次の世代にバトンを渡せるような“肩”になれると素敵ですね。
歴史上の偉人というと、どこか遠い存在に思えますが、こうして見てみると、ニュートンもまた悩みや葛藤を抱えた“ひとりの人間”だったのだと実感できます。



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