車椅子での生活が長くなってきた私だけど、毎日スマホで名言を見て小さな勇気をもらっている時間が好きだ。そんな私が最近心に刺さったのが「アンドリュー・カーネギー」という名前。
鉄鋼王と呼ばれ、超お金持ちなのに全財産のほとんどを寄付してしまったという「伝説の実業家」らしいけど、実はどんな人だったのか、どんな言葉を残したのかはあまり知られていないかもしれない。
私も最初は「お金持ちの人でしょ?」くらいにしか思ってなかったけれど、調べていくうちに、彼の考え方や生き方が私の日常の考え方にもヒントをくれるようになった。
もし今、将来が不安だったり、何かに挑戦しようか迷っている人がいたら、アンドリュー・カーネギーの言葉は心強いお守りになると思う。
今回は「カーネギーの名言」「何で有名?」「生い立ち」「業績」について、検索しても難しい言葉ばかり出てきてわからないよ、という人向けにわかりやすくまとめてみました。
アンドリュー・カーネギーの名言とは?
カーネギーの名言で有名なものは数多くあるけど、私が特に心に響いたのはこれ。
「自分がこの世を去るとき、貧しいままで去ることは罪である。」
最初にこれを読んだ時、「え?お金がないことが罪なの?」と誤解しそうになった。でも、カーネギーが言いたかったのは「ただお金を貯め込むだけでは意味がなく、それを社会のために使わずに死ぬことこそが罪だ」という意味だったらしい。
他にも、
「人を動かす唯一の方法は、その人が望んでいるものを話題にすることだ。」
という言葉もある。これってSNSや日常の会話でも活かせる考え方で、つい自分の話ばかりしてしまう私にとって、耳が痛いけど大事な言葉だと思った。
こうした名言を読むだけでも、毎日をもっと前向きに過ごしたり、人との関わり方を少し優しく変えていける気がする。
アンドリュー・カーネギーの生い立ちとは?
生活はかなり苦しかったそうです。13歳のときに家族と共にアメリカに移住し、最初は織物工場で糸巻きをする仕事をわずか1.2ドルの週給で始めたといいます。
普通だったらその環境で夢を持つことさえ難しいのに、カーネギーは「アメリカンドリーム」を信じ、どんな小さな仕事も真剣に取り組んだことで周囲の信用を得ていきます。
その後、電報配達の仕事で働きながら通信技術を覚え、鉄道会社の秘書として働くようになり、ここで人脈とビジネスの基礎を学びました。
振り返ってみると、私も身体が動かしづらくなってから「自分には何もできない」と思っていたけれど、カーネギーの生い立ちを知ると、小さなことでも努力を積み重ねることが次につながるのだと勇気をもらえる。
アンドリュー・カーネギーの業績とは
アンドリュー・カーネギーが「鉄鋼王」と呼ばれた理由は、鉄鋼産業で大成功を収めたからです。南北戦争後のアメリカは鉄道や建設ラッシュで鉄鋼需要が急増し、カーネギーは鋼鉄の大量生産技術を導入し価格を抑えながら品質を高めることで業界トップに上り詰めました。
1892年には「カーネギー・スチール会社」を設立し、アメリカの鉄鋼生産の大半を占める規模に成長させます。その後、1901年にJPモルガンに会社を売却し、その時の売却金額が当時で約4億8千万ドル(現在の価値で数千億円以上)だったとされます。
しかしカーネギーのすごいところはここからで、彼はその莫大な財産を私腹を肥やすためでなく「図書館の建設」「教育機関の設立」「平和活動」など社会貢献に使い、なんと生涯で3500以上の図書館建設に関わったと言われています。
「富は社会から預かっているもの」という考え方を持っていたカーネギーの生き方は、現代においても多くの起業家や一般の人々に影響を与えています。
最後に
アンドリュー・カーネギーは「お金を稼いだらその後どう使うかが大事」ということを教えてくれる存在です。私自身、身体の自由はきかないけれど、SNSを通じて誰かに役立つことを発信したり、寄付をしたり、小さなことでも人に喜ばれる使い方をしたいと考えるようになりました。
彼の名言を見ていると、お金や立場がすごいから偉いわけじゃなくて、それをどう社会のために使うかが人として大事なんだと気づかされます。
もし今の自分に自信が持てなかったり、将来が不安な方がいたら、カーネギーの言葉を手帳の隅にメモしておくと、いざという時にそっと背中を押してくれると思います。
これからも小さなことからコツコツ、どんな立場であっても「与える側になれる自分でありたい」と思いながら、一緒に毎日を大事に過ごしていきましょうね。
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