コンビニやファストフードの看板でおなじみの白いスーツに白髭の紳士、カーネル・サンダース。その姿を見て、すぐにKFCを思い出す方も多いはずです。でも、彼が本当にすごいのは、そのイメージだけではありません。
実は、彼の人生は失敗と挑戦の連続。決して順風満帆ではなかったのです。それでも諦めず、人生後半から世界的なブランドを築き上げた姿は、多くの人に勇気を与えています。
この記事では、カーネル・サンダースの名言を通して彼の人柄や信念を深掘りしつつ、生い立ちや業績にも触れていきたいと思います。私自身、車椅子生活をしながらブログを綴っている一人の素人ですが、彼の物語には何度も心を動かされました。
だからこそ、この記事が少しでも誰かの背中を押すきっかけになれば嬉しいです。
カーネル・サンダースの名言とは?
「人生で一番大切なのは、あきらめないことだ。」
カーネル・サンダースのこの言葉、私は何度も噛み締めたことがあります。彼の人生を振り返ると、「あきらめないこと」がどれほど彼自身を支え続けたかがわかります。
実際、彼がKFCというブランドを確立したのは65歳を過ぎてから。そこに至るまでの道のりは決して平坦ではありませんでした。
彼はまたこうも言っています。
「私は成功するまでやめなかった。それだけだ。」
このシンプルだけど重みのある言葉に、何かを成し遂げたいと願う人たちが勇気をもらってきたことでしょう。若い頃から何度も職を転々とし、失敗も重ねてきた彼だからこそ、この言葉には説得力があります。
カーネル・サンダースの生い立ちとは?
ハーランド・デーヴィッド・サンダース、通称カーネル・サンダースは1890年、アメリカ・インディアナ州に生まれました。
5歳のときに父親を亡くし、母親が働きに出るようになったため、幼いサンダースは家事と料理を担うことになります。ここで、料理との縁が自然と生まれていきました。
その後は決して裕福とは言えない家庭環境の中で、さまざまな仕事を転々とします。農場労働者、路面電車の車掌、保険のセールスマン、さらには弁護士など、本当に多くの職を経験しました。しかし、どれもうまくいかず、30代後半にはガソリンスタンドを経営することになります。
ここで彼は、ガソリンスタンドの一角で、自らが作るフライドチキンを出し始めました。これが後にKFCの原点となる出来事です。料理が得意だった少年時代の経験が、思わぬ形で人生の糸口をつかんだのです。
カーネル・サンダースの業績とは
1930年、ケンタッキー州コービンで本格的にレストラン業を始めたサンダースは、自慢のフライドチキンを提供し始めます。このチキンが地元で評判となり、やがて「ケンタッキー・フライド・チキン(KFC)」の基礎が出来上がっていきました。
1952年、既に60代を迎えていたサンダースは、自ら車に乗ってアメリカ中を巡り、自分のチキンのフランチャイズ契約を各地のレストランに売り込むという行動を開始します。実際に1000回以上断られたといいますが、それでも彼は諦めなかったのです。
その努力が実を結び、KFCは急成長。彼が70歳の頃には既に全米に広がり、最終的には世界中にまで店舗を展開するブランドへと成長しました。サンダース自身はその後もKFCの顔としてテレビCMなどに出演し、晩年まで精力的に活動を続けました。
最後に
カーネル・サンダースの人生は、まさに「遅咲きの成功者」の代表といえるでしょう。彼の名言や行動には、「遅すぎることなんてない」「挑戦はいつからでもできる」というメッセージが詰まっています。
私自身、身体が不自由になってから多くのことをあきらめかけました。でも、サンダースのように何度でもやり直せると信じることで、こうしてブログを通して発信を続けられています。誰かの言葉や行動が人生を変えるきっかけになるということを、私は彼から学びました。
もし今、人生に迷いや不安を抱えているなら、カーネル・サンダースの名言を思い出してみてください。きっとあなたの中にも、何か新しい一歩を踏み出す力が芽生えるはずです。
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