人生って、本当に答えが出ないことばかりだなと感じることがあります。朝起きて、いつものカーテン越しの光を見て、なんとなく一日を始めてしまう日。そんな時、ふと心の奥から、「私は本当にこれでいいのだろうか」と小さな声が聞こえる時があります。
私は車椅子で生活している中で、できることとできないことの差に落ち込むことも多いのですが、そんな時に支えになってくれるのは、人の言葉です。特に、エーリッヒ・フロムの言葉は、私の中に静かにしみ込んできて、目を閉じているときでも心を支えてくれました。
今日は、彼の名言や生い立ち、業績を通じて、「生きること」について一緒に考えてみたいと思います。
エーリッヒ・フロムの名言とは?
エーリッヒ・フロムの言葉で、私が最初に心を打たれたのは「愛は技術であり、知識と努力が必要である」という一節でした。私にとって愛とは、ただ気持ちで動くものだと思っていましたが、彼の言葉を知ってからは、愛することは学び続ける行為だと理解できるようになりました。
「生きるということは、生まれることの連続である」という言葉もあります。この言葉は、毎日をただ繰り返すだけでなく、自分の中で何かを生まれさせていくことの大切さを伝えてくれます。
私自身、車椅子で自由に動けない場面で落ち込むことがありますが、フロムの言葉に触れると、動けなくても考えること、感じること、伝えることができるだけで新しい何かを生み出せるのだと感じます。
彼はまた、「自由とは何か」という問いにも多くの言葉を残しました。「自由は孤独や不安を伴うが、それでもなお自由でいる勇気を持つことが大切である」という考え方は、どんな環境の中でも自分らしく生きる勇気を与えてくれます。
エーリッヒ・フロムの生い立ちとは?
エーリッヒ・フロムは1900年にドイツのフランクフルトで生まれました。ユダヤ人の家庭で育った彼は、第一次世界大戦を青年期に経験し、戦争がもたらす破壊や人間の苦しみに心を痛めながら成長しました。この時期の経験が、後の彼の思想に深く影響を与えたといわれています。
彼は最初、法律を学びましたが、やがて社会学や心理学へと興味を移し、フランクフルト大学で社会学の博士号を取得しました。その後、フランクフルト社会研究所で活動し、フロイトの精神分析学を学びながらも、自身の社会的視点を取り入れた独自の理論を築いていきます。
ナチスが台頭する時代となり、ユダヤ人であったフロムはドイツを離れ、アメリカへ移住します。これにより、新しい文化の中で彼はさらに研究を深め、人間の自由、愛、孤独といったテーマを世界に向けて発信し続けました。
エーリッヒ・フロムの業績とは
フロムの業績の中でも特に有名なのが『自由からの逃走』という著作です。この本の中で彼は、自由を手に入れながらも不安や孤独を恐れ、再び権威や体制に依存してしまう人間の姿を描き出しました。この考え方は、現代社会にもそのまま当てはまる部分があります。
また『愛するということ』という著作では、愛は単なる感情ではなく「技術」であり、訓練と努力で身につけるものだと説いています。愛を相手からもらうものだと思っていた私にとって、愛すること自体が努力であり行動であるという言葉は、新しい視点を与えてくれました。
その他にも、『持つことと在ること』という著作では、物質主義の社会における「持つこと」に重きを置く生き方よりも、自分自身の「在り方」に価値を置く生き方が大切だと説いています。この考え方は、物があふれる現代でこそ必要なメッセージだと感じます。
心理学者でありながら社会思想家でもあったフロムの業績は、単に心理学の範囲にとどまらず、社会の在り方、生きる意味、そして人間としての幸福とは何かという問いに答えを投げかけてくれています。
最後に
私自身、フロムの言葉に出会うまでは、「自由」という言葉に憧れながらも、どこか遠い存在のように感じていました。車椅子で生活していると、自由という言葉は無縁のように感じてしまうこともあります。
でも、フロムの言葉を通じて、自由とは環境だけでなく「自分の生き方を選び取ること」であると気づくことができました。
彼の「愛は技術である」という言葉は、日々の生活の中で人と関わるとき、相手を大切に思うことだけでなく、それをどう表現し、行動に移していくかを考えるきっかけになっています。
日々の暮らしの中で何かに迷ったとき、フロムの言葉を思い出して、自分の行動や考え方を見直してみるのも良いかもしれません。
この記事が、あなたが自分自身の生き方や愛し方を考える小さなきっかけとなり、心が少しでも軽くなる時間になれば嬉しいです。エーリッヒ・フロムの名言や生涯、業績を通じて、私自身もまだまだ学び続けています。
もしあなたの心にも、彼の言葉が届く瞬間があったなら、その時は自分だけの「生まれることの連続」が始まっているのだと思います。
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