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人生は繰り返すのか?永劫回帰の意味と使い方を私なりに噛み砕いて考えてみた

え行
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同じような一日を、私は何度経験してきただろう。朝、車椅子に乗り、窓の外の天気を確認し、決まった道を通って出かける。何も起きない日もあれば、小さな出来事が心に残る日もある。

そんな日々を重ねていると、ふと「これって前にもあった気がするな」と思う瞬間がある。まるで人生が円を描くように、同じ場所に戻ってきているような感覚だ。そんなとき、私の頭に浮かぶ四字熟語が「永劫回帰」である。

難しそうな言葉だが、実は今を生きる私たちにとても近い考え方なのではないかと、最近強く感じている。

 

 

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永劫回帰の意味とは?

 

永劫回帰とは、簡単に言えば「この世界や人生は、同じ形のまま永遠に繰り返される」という考え方を表す言葉だ。永劫とは果てしなく長い時間、回帰とは元に戻ることを意味する。

つまり、始まりと終わりが直線ではなく、円のようにつながっていて、何度も同じ出来事が巡ってくるという発想である。この言葉を聞くと、運命が最初から決まっていて逃げられないような、少し重たい印象を持つ人もいるかもしれない。

だが私は、永劫回帰を「縛り」ではなく、「問いかけ」として受け取っている。

 

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永劫回帰の使い方とは?

 

永劫回帰は、日常会話よりも、少し哲学的な文脈で使われることが多い。例えば、「同じ失敗を何度も繰り返してしまう自分の人生は、まるで永劫回帰のようだ」といった使い方ができる。

また、「歴史は形を変えながらも永劫回帰しているように感じる」という表現も自然だろう。ポイントは、単なる繰り返しではなく、逃れられない循環や、深い意味を持つ反復として使うことだ。軽い冗談で使うよりも、人生観や価値観を語る場面で用いると、この言葉の重みが生きてくる。

 

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永劫回帰をわかりやすく解説

 

私なりに永劫回帰を噛み砕いて考えると、「もし今の人生を、まったく同じ条件で何度も生き直すとしたら、私はこの選択を肯定できるだろうか」という問いに行き着く。椅子ユーザーとして生活していると、できないことや制限を感じる場面は正直多い。

過去に戻れたら違う道を選びたいと思ったこともある。それでも、今の私が書いている文章や、出会ってきた人たち、感じてきた悔しさや喜びまで含めて、すべてが再び繰り返されるとしたらどうだろう。

永劫回帰の考え方は、「どうせ変えられない」と諦めるためのものではないと私は思う。むしろ、「何度繰り返されても後悔しない一日を、今日どう生きるか」を考えさせるための視点なのではないだろうか。

同じような日常が続いていると感じるとき、その一日は本当に同じなのか。それとも、少しずつ意味を変えながら巡ってきているのか。永劫回帰という言葉は、そんな問いを私に投げかけてくる。

 

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最後に

 

永劫回帰は、難解な哲学用語として距離を置かれがちだが、実は私たちの日常に静かに寄り添っている言葉だと思う。毎日の繰り返しに疲れたとき、同じ失敗をして落ち込んだとき、この四字熟語を思い出してみてほしい。

もしこの人生が何度も繰り返されるとしたら、今日の自分の選択をどう受け止めるだろうか。そう考えるだけで、いつもの一日が少し違って見えてくるかもしれない。私はこれからも、同じようで同じではない日々を車椅子で進みながら、この問いを胸に抱えて生きていきたい。

永劫回帰という言葉は、私にとって人生を縛る概念ではなく、今を大切にするための静かな指針なのである。
 
 

まっつん

はじめまして、頚髄損傷者のまっつんです。

健常者から障害を持つようになり、車椅子で生活していることでの感じた考えを綴ろうと思います。

共感していただければコメント欄からどしどし書き込んでもらえると幸いです。

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