近所の公園で手動の車椅子をギコギコ押しながら、遠くに見える空を見上げては「いつかあの向こうに行きたいな」と思っていました。でも実際には坂道で転びそうになったり、雨の日には移動すらままならず、現実の壁にぶつかることの方が多かったです。
そんな私にとって「夢を見続けることの大切さ」を教えてくれたのがウォルト・ディズニーの言葉でした。ディズニーランドへ行く機会はなかなかありませんでしたが、テレビでミッキーが笑う姿を見ているだけで「まだ頑張れるかも」という気持ちをもらえたのです。
夢を描き、努力を続け、実現させる姿を人生そのもので見せてくれたウォルト・ディズニーの生き方は、車椅子の私にとっても「自分の可能性を信じていいんだ」と思わせてくれる希望そのものでした。
ウォルト・ディズニーの名言とは?
ウォルト・ディズニーの名言は数多くありますが、その中でも私が大切にしているのが
「夢を追い続ける勇気があれば、すべての夢は必ず叶う」
という言葉です。この言葉はきれいごとに聞こえるかもしれません。でも、夢を叶える過程には必ず「挑戦し続ける勇気」が必要で、途中で諦めてしまうことが一番の失敗だということを教えてくれる一言でもあります。
ウォルト自身も度重なる借金や失敗を経験し、幾度も絶望の縁に立たされましたが、諦めることなく、むしろ「もっと面白いことをしよう」と新しい挑戦を繰り返してきました。彼の言葉を読むたび、私自身も「もう一歩だけやってみよう」と思えるようになりました。
ウォルト・ディズニーの生い立ちとは?
ウォルト・ディズニーは1901年12月5日、アメリカのシカゴで生まれました。5人兄弟の中で育ち、農場での生活や新聞配達の手伝いなど、決して裕福とは言えない家庭で育ちます。
子どもの頃から絵を描くのが大好きで、学校のノートに落書きをしては注意されることもあったそうです。大人になってからはカンザスシティの広告会社で働き始め、そこでアニメーションの世界に出会い、独立を決意。
「ラフォグラム・フィルム」という会社を立ち上げるも失敗し、一度は破産。その後ハリウッドに移り、兄ロイの助けを得てディズニー・ブラザーズ・スタジオを設立します。
生い立ちを知るとわかりますが、彼の人生は「成功の連続」ではなく、何度も倒れそうになりながらも「夢を追う自分を信じ続けた」時間の積み重ねでした。
ウォルト・ディズニーの業績とは
ウォルト・ディズニーの業績といえば、何と言ってもミッキーマウスの誕生(1928年)が転機です。
トーキー映画が登場し始めた頃、「蒸気船ウィリー」という短編で音と動きが融合したミッキーの姿は、世界中を驚かせました。その後も『白雪姫』を世界初の長編アニメ映画として公開し、大ヒットを記録。
アニメ映画の歴史を変えただけでなく、映画に「夢を与える力」があることを証明しました。
そして彼の最大の夢であったディズニーランド(1955年開園)を自ら設計・監修し、現実のものにしたことも業績のひとつです。
ウォルト・ディズニーは単にキャラクターを作った人ではなく、「エンターテインメントの可能性を広げ、体験として人々に夢を届ける仕組み」を世界で初めて築いた人物とも言えるでしょう。
何度も資金繰りに苦しみ、周囲から無謀だと言われながらも自らを信じて走り続けた結果、ディズニーは今でも世界中の人々に夢を与え続ける企業へと成長しました。
最後に
私は車椅子で生活している中で、「夢を持つのは自由だけど、現実は簡単じゃない」と思ってしまうことがあります。でもウォルト・ディズニーの生き方や名言を知ると、「諦めないことが大切」だと気づかされます。
彼の言葉に触れるたびに、「自分の好きなことを信じて続けるだけでいい」「続けていけば必ずどこかに辿り着ける」という勇気をもらえます。
今、何かに挑戦しようとしているけれど怖くて踏み出せない人へ。ウォルト・ディズニーの名言をそっと胸にしまって、ほんの一歩だけ前へ進んでみてください。それが大きな夢を動かす最初のきっかけになるかもしれません。
もし辛くなったときは、また彼の名言を思い出して、一息ついたらまた進めばいい。夢を見続けて努力する人には、いつか必ずその夢が微笑み返してくれると、私は信じています。
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