家で寝転びながらスマホを眺めていたとき、ふと「女性初の医師って誰なんだろう」と思ったことがありました。私自身も体が自由に動かせないからこそ、社会の壁を感じることがあります。
そんなときに知ったのが、エリザベス・ブラックウェルという名前でした。ただの歴史の中の人物ではなく、時代を越えて今の私たちにも生き方のヒントをくれる存在だと感じました。彼女の言葉は、夢や目標をあきらめかけたときに背中を押してくれる力があります。
今日はそんなエリザベス・ブラックウェルの名言、なぜ有名になったのか、生い立ち、業績を一つずつ私の目線でまとめていきます。
エリザベス・ブラックウェルの名言とは?
「障害を乗り越える最善の方法は、それを踏み台にして目標に近づくことだ」
この言葉を見つけたとき、私は胸が熱くなりました。エリザベス・ブラックウェルは、女性が医師になることが社会的に認められていなかった時代に、「女性だから」という理由だけで多くの医学校から入学を拒否され続けました。
それでも彼女はあきらめず、周囲の反対を力に変えて進み続けます。障害や偏見を壁にせず、自分を成長させるための踏み台に変える。シンプルだけど力強い言葉です。
私も日々、周囲の視線や自分自身のコンプレックスに負けそうになることがありますが、この言葉を思い出すと「できることをできるだけやってみよう」と思えます。
エリザベス・ブラックウェルの生い立ちとは?
エリザベス・ブラックウェルは1821年、イギリスのブリストルで生まれました。父親は製糖業を営む進歩的な考えを持つ人で、家族には多くの子どもたちがいました。家族は彼女が11歳の時にアメリカへ移住しますが、父親の死後、経済的に苦しい状況に置かれます。
家庭教師として働きながら家計を支え、女性として当時の社会が求める「結婚することだけが幸せ」という価値観にも違和感を持ちながら生きていました。
そんな中、病気で亡くなった友人から「女性医師がいたらどれだけ心強かったか」と語られたことがきっかけとなり、エリザベスは医師になる決意を固めます。
しかし、女性が医学を学ぶことは「不可能」と言われていた時代。20以上の医学校に願書を出しても拒否され続け、冷笑や偏見にさらされました。
今の時代でも「挑戦する勇気が出ない」と思うときがありますが、当時の社会で夢を追うのはどれだけ過酷だったのか想像すると、頭が下がります。
エリザベス・ブラックウェルの業績とは
拒絶を受け続けた末に、ニューヨーク州ジュネーブ医学校が「学生たちの投票で決める」という形でエリザベスの入学を許可します。学生たちは冗談のつもりで賛成票を入れたという話もありますが、これが歴史を動かす結果となりました。
1849年、彼女はアメリカで初の女性医師として正式に医学の学位を取得します。これは単なる資格取得ではなく、「女性が医師になれる」という社会的な壁を崩した大きな一歩でした。
その後、ヨーロッパへ渡り医学を学び続け、アメリカに戻ってからは貧困層の女性や子どもを支援するための診療所を開設。さらに、女性が医療現場で活躍できるようにするための医学校設立にも尽力します。
「自分だけが医師になれればいい」という考えではなく、後に続く女性たちの道を広げるために行動し続けた点が、エリザベス・ブラックウェルの本当の偉大さだと思います。
障害をただ乗り越えるだけでなく、それを他の人の希望へと変えていく生き方こそ、彼女が私たちに残してくれた最大のメッセージです。
最後に
エリザベス・ブラックウェルの人生を知ると、どんなに大きな壁でも「乗り越えることはできる」と信じられる勇気が湧いてきます。私自身、外へ出るだけで人目が気になることがあります。
周囲の理解が得られないとき、無力感に襲われることもあります。それでもこの言葉を胸に、「障害を乗り越える最善の方法は、それを踏み台にして目標に近づくことだ」と思い出すたびに、行動できる自分でいたいと感じられます。
今このブログを読んでくださっているあなたにも、日々「もうダメだ」と思う瞬間があるかもしれません。そんなとき、エリザベス・ブラックウェルの言葉が小さな灯になってくれたら嬉しいです。
女性が医師になることが夢のまた夢だった時代に、その夢を現実に変えた人がいた。その事実を知るだけでも、私たちの一歩は軽くなるはずです。
これからも歴史に残る偉人たちの生き方を、自分の暮らしに重ねながらお伝えしていきたいと思っています。また新しい記事でお会いしましょう。あなたの今日が少しでも穏やかで前向きな時間になりますように。
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