最近、どうにもならない状況にぶつかることが多い。思い通りにいかない日々、繰り返す失敗、そして自分への苛立ち。私は車椅子生活をしているけれど、それとは関係なしに、人生そのものがまるで大きな壁のように立ちはだかってくることがある。
そんなとき、ふと目に入ったのが「悪戦苦闘」という四字熟語だった。
最初は「どうせ苦しそうな言葉だろう」と思ったけれど、調べてみるうちに、これほど今の自分に寄り添ってくれる言葉はないと気づいた。苦しくて、報われなくて、それでも前に進もうとする——その姿を、このたった四文字が代弁してくれているようだったのだ。
今回は、この「悪戦苦闘」という四字熟語について、自分の体験も交えながら書いてみようと思う。意味や使い方、そしてどんなときにこの言葉が心に響くのか、少しでも誰かの支えになれたら嬉しい。
悪戦苦闘の意味とは?
「悪戦苦闘(あくせんくとう)」とは、読んで字のごとく、「悪い状況の中で、苦しみながら戦うこと」。辞書的にいえば、「困難な状況の中で、懸命に努力している様子」を表す言葉だ。

“悪戦”というのは「不利な戦い」や「状況の悪い戦い」を意味し、“苦闘”は「苦しみながら戦うこと」。つまり、どちらも「戦い」の要素を含んでいて、しかもその戦いが決して楽なものではないということを示している。
この言葉の核心は、「結果よりも過程」にあると私は感じる。うまくいっているかどうかよりも、その人がどれだけ懸命に立ち向かっているか、苦しい状況でも諦めずに挑んでいるか。その姿勢こそが「悪戦苦闘」なのだ。
悪戦苦闘の使い方とは?
実際の日常会話や文章の中での使い方を、いくつか例に挙げてみたい。
例1:「新しい介護用アプリの操作に悪戦苦闘している」
→ 高齢の方や障害を持つ人など、誰でも新しいテクノロジーに慣れるのは大変。必死に使いこなそうとする様子にぴったりな表現。
例2:「リハビリの日々は悪戦苦闘の連続だった」
→ 自分の体との戦い。思うように動かせない現実にぶつかりながらも、諦めずに前へ進む姿。
例3:「初めての一人暮らしで家事に悪戦苦闘中」
→ 別に命がけではなくても、日常の中にも苦闘はある。生活の全てが挑戦で、戦いになることもある。
つまり、「悪戦苦闘」という言葉は、特別な状況だけに使うのではなく、日々の小さな挑戦や、心の葛藤にも当てはめられる。それだけに、この言葉はとても身近で、心に寄り添ってくれる四字熟語なのだと思う。
悪戦苦闘をわかりやすく解説
ここで「悪戦苦闘」をもっと身近に、実感として理解できるよう、私の体験を少しだけ書いてみたい。
例えば、私は段差のあるカフェにひとりで入ろうとしたとき、車椅子の前輪が引っかかって動かなくなったことがある。誰にも助けを求められず、何度も試行錯誤して、ようやく店の人に気づいてもらえた。恥ずかしかったし、
悔しかった。でも、それでも「自分でやってみよう」と思った時点で、すでに「悪戦苦闘」は始まっていたんだと今は思う。
この言葉の持つ力は、「報われなくても価値がある」ということを教えてくれる点にある。成功するかどうかじゃない。やろうとしている、それだけで尊い。苦しみながらでも前へ進む人の姿に、私たちは感動するのだ。
また、「悪戦苦闘」は決してネガティブな言葉ではない。むしろ、人間の強さや真剣さが詰まった、ポジティブな表現でもある。だからこそ、自分や他人を責めず、「今、自分は悪戦苦闘してるんだ」と言えるだけで、少し心が軽くなるのではないだろうか。
最後に
「悪戦苦闘」という言葉は、私たちの誰にとっても、人生の中で必ずぶつかる壁や苦しみに対して、名もなき努力を肯定してくれる言葉だ。
もしかすると、「頑張っても結果が出ない自分」にがっかりすることがあるかもしれない。でも、「悪戦苦闘」は、そんなあなたの姿を見逃さない。結果じゃなく、戦う姿勢そのものに価値があることを、そっと教えてくれる。
私は今も日々、うまくいかないことの連続だ。だけど、「今日も悪戦苦闘だったな」と言えるような日々は、案外、誇らしいのかもしれない。だって、それは「今日もちゃんと生きた」という証だから。
読んでくれて、ありがとう。同じように苦しんでる誰かの心が、少しでも軽くなりますように。



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