「Remember the ladies(女性たちのことも忘れないで)」。
このひと言が、200年以上の時を超えてもなお、響き続けていることをご存じでしょうか?
これは、アメリカ合衆国第二代大統領ジョン・アダムズの妻、アビゲイル・アダムズが、1776年に夫に宛てて送った手紙の一節です。
当時、女性の権利や自由などほとんど議論されていなかった時代に、国家の未来を担う人物へ“女性の権利”について訴えかけたその姿は、まさに先見の明を持った知性と勇気の証でした。
今回はそんなアビゲイル・アダムズの「名言」として語り継がれる言葉に触れながら、彼女の生い立ちや知られざる功績について、素人なりにじっくり語ってみたいと思います。
ブログを書く私自身、日々いろんな壁にぶつかりながらも、自分の声を大切にしようと努力しています。そんな私にとって、アビゲイルの生き方はまさに希望の灯なのです。
アビゲイル・アダムズの名言とは?
アビゲイル・アダムズの名言としてもっとも有名なのが、「Remember the ladies」という言葉です。1776年、アメリカ独立宣言の起草が進んでいたさなか、アビゲイルは夫ジョンに手紙でこう書きました。
“Remember the Ladies, and be more generous and favourable to them than your ancestors.”
訳せば「女性たちのことを忘れずに、あなたの祖先よりも寛大で優しくあってください」という意味。
つまり、女性にも法的保護や自由を与えてほしいという強いメッセージです。
これは単なる「家庭の中でのつぶやき」ではなく、当時としては画期的な政治的発言でした。女性には投票権も財産権もない時代。そんな中で「女性にも権利がある」と訴えたことは、まさに時代に先駆けた勇気のある提案でした。
この言葉は、のちのフェミニズム運動の源流のひとつとも見なされています。
アビゲイル・アダムズの生い立ちとは?
アビゲイル・アダムズは1744年、マサチューセッツ州の裕福な牧師の家に生まれました。正式な学校教育を受ける機会はなかったものの、家にあった豊富な本を読み漁り、自分自身で教養を高めていったそうです。
子どもの頃から聖書や歴史、政治に関心があり、「女性が勉強するなんて」と言われる風潮の中でも、読書と手紙のやり取りで知識を深めました。この“独学”の姿勢こそが、のちにジョン・アダムズとの知的な関係を築く土台となったのです。
1764年、アビゲイルが20歳のとき、9歳年上の弁護士ジョン・アダムズと結婚。
二人はただの夫婦というより、**思想を共有する“同志”**としての絆が深く、数百通にも及ぶ書簡のやり取りの中で、政治、哲学、教育など多岐にわたる議論を交わしました。
アビゲイル・アダムズの業績とは
アビゲイル・アダムズは「ファーストレディ」としては、ジョージ・ワシントンの妻マーサ・ワシントンに次ぐ二人目ですが、その存在感は群を抜いています。
彼女の功績は表に出るようなものではありませんが、夫ジョン・アダムズが独立戦争や大統領職という過酷な任務に臨む中、常に手紙で政治的助言を送り続けた陰の参謀でした。
また、ジョンが駐仏大使としてヨーロッパに赴任していた時期には、アビゲイルがアメリカ国内で子どもたちを育てながら農場を管理し、経済面でも一家を支えていました。
このように、「女性は家庭にいればいい」という社会通念を打ち破り、自立した知的女性として多方面に影響を与えたのです。
さらに彼女の教育理念は、息子ジョン・クインシー・アダムズ(第6代大統領)にも引き継がれました。「母の教えなくして、私は大統領にはなれなかった」という彼の言葉が、アビゲイルの偉大さを何よりも物語っていると感じます。
最後に
アビゲイル・アダムズの人生は、一言で言えば「静かなる革命」でした。国家の成り立ちの裏側で、声なき女性たちの代弁者として、知識と勇気で道を切り拓いていったその姿には、心から敬意を表したいと思います。
私もブログを書きながら、自分の意見を外に出すことの怖さやためらいを感じることがあります。でもそんなとき、「Remember the ladies」の精神を思い出すんです。
時代や状況がどうであれ、「声をあげること」に意味がある。アビゲイルのように、自分の信じることを言葉にする――それが、未来を変える一歩になるのだと、私は信じています。
歴史の教科書ではあまり大きく取り上げられない彼女のような人物こそ、私たちがもっと知り、語り継いでいくべきなのかもしれませんね。
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